第8教室:『ペルル嬢』(フランス語学習)『テレーズ・ラカン』(英語学習)

ドーデの『金の脳みそを持った男』もここで学習しました.

山田 錦の【通訳ガイド日記 25】

6月3日 (日)


京都駅 「京都劇場」前、午前8時45分。

点呼がはじまります。

ゴタの班は3組6班、
男子2名、女子4名、計6名です。
班の数だけガイドがいます。
本日のガイドは、JGAから14名、
とガイド研究会のメンバー14名(だったかな?)です。

さっそく、スタート。
バスは、Bの3乗り場。金閣寺前まで。

今まで、タクシーで案内していたゴタにとって、
きょうは、初めての市バス利用のウォーキングツアーです。

かってが違うのに、面食らうゴタ。
こういう公共の乗り物では、ガイドすることは、難しい。

声をあげると、人迷惑だし、かといって、
自己紹介なんかも、かってが違うので、ままなりません。

車中、他の班のガイドさんと乗り合わせたので、
食事場所について、聞いてみた。

生徒さんは、お弁当を持っていません。
これがタクシーツアーと大違い。


お薦めは、オムライス専門店「オムラハウス」

いいかも。

 

でも、「おつけもの屋さん」のお漬け物定食なら、
龍安寺の前にあるので、食事移動の時間が省ける!
(ただし、800円に値上げさてれいた!)


たいていは、二条城の休憩所に
お弁当を持ち込んで、食べるのですが。

 

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金閣寺

とりあえず、金閣寺に着きました。

1994年、ユネスコ世界遺産に登録。
金ピカのお寺でございます。


さて、外人さんは・・・いました。

ところが、一向に、みなさん、話かける気配がありません

 

ゴタ  : 外国人と会話することになっているんでしょ?

みなさん: いいえ、そんなこと課せられていません。

ゴタ  : え?


まあ、とにかく、ホッとしました。

やっぱり、そういう課題は生徒さんにも、外国人にも、迷惑な話だ。

でも、そしたら、どうして、通訳ガイドが雇われたのだろう?
まあ、どうでもいいか。

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指図書では、歴史的なことを長々と説明するのは、
やめて、楽しく案内してほしいとのこと。

そこで、必要最小限度の知識・・・
だれが、いつ創建したかだけを覚えてもらった。

それで、じゅうぶんだ。

 (と思ったのだが、みなさん、メモを取っておいでです。)


足利三代将軍、義満の山荘が1397年に営まれて、
死後、お寺になった。

これだけで、じゅうぶんでございます。

 

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金閣寺は、お客様の方から、
質問が飛んでくることがあります。

  
  「なぜ、青年僧侶は放火したのか?」云々。

美しさへの嫉妬だと答えることになっているが、
そんなこと、責任もって答えているわけではありません。
正しくは、

  「わかりません。」

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金閣寺からバスに乗って、龍安寺へ。


何と、だだ混み。一台見送ります。
(市バスツアーの欠点!)

しばらく待って、次のバス。
これも混み合っていました。

が、そんなこと言っていたら、
進まない。強引に乗り込む。


  「ゴタさ~ん、私たち、
   もう乗れません。次のバスにしましょう。」


何だって?とっくに乗っていたと思ったら、まだバスの外です。

  
  (遠慮深いお方!ええとこのお嬢さんかも!)


  「大丈夫、空いています。ギューッと押しくらまんじゅうで乗って
   きなさいよ。」

 
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 【龍安寺

1450年、管領細川勝元が、妙心寺の義天承昭を招いて創建。

はい、知識はこれだけで、じゅうぶん。
たくさん覚えて、すぐに忘れるよりも、
これだけを、覚えて帰って、教養の種植えにして下さい~
というのが、私流のガイド。

ヽ(゚◇゚ )ノ

山門を入ったところ、左手に鏡容池。
白い花、赤い花、愛らしく睡蓮が咲いています。

せっかく、英語屋のゴタがガイドしているのです。
睡蓮を英語で、何と言う? 

まあ、これぐらい、英語で言ってみよう。
はい、どうぞ。

答は、

  water lilly

モネの睡蓮と同じような、可愛らしい小さな花が水面に繚乱しています。

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庫裡に入ります。

あがって、左に進めば、有名な石庭。
よその班のガイドさんも、
弁舌ゆたかに、説明されています。

ゴタ、その説明に、聞き入っていました。


 「うーん、そうそう。
  さすが、先輩ガイドさん、よくご存じで・・」


作者は不明。室町末期には、庭があったが、
石の配列が今のようになったのは、
いつ頃かは、はっきりしていない。


この庭の観賞方法は、
やはり、瞑想して、
石が何かを語りかけてくるのを待つ・・・・・
のが理想だが、限られた時間で、
そううまくはいかない。


月並みだが、15個の石が、
14個しか見えないことを説明。

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裏庭に回ります。有名なつくばいがあります。

先輩ガイドさんが、

  「我 唯 足るを 知る」

見事に説明されております。  

ゴタ、それをオームのようにくりかえし、説明。


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鏡容池の周りを遊歩します。

生徒さんたちは楽しく、
抹茶アイスをいつ、どこで食べるかの話。

 (いつでもどうぞ!)

ゴタ、食事をどこで、取るのか聞いてみた。

  「ここなら、湯豆腐が食べられるのだが・・」

  「え?このお寺の境内に食堂があるのですか?」

  「そうだよ。ほら、あそこ。」

お一人、3300円、と書かれているのを見て、

  「やっぱり、よそで食べましょう。」

そりゃ、そうですな。

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バスが来ました。次は、北野天満宮です。

 「さあ、みなさん、バスに乗りましょう。
  いいですか。北野天満宮の手前で降りますよ。」

そう言ってからバスの運転手さんに、聞いた。


  「ファミレスの『さと』は、どのバス停で降りるのですか?」

  「え?何だって?このバスは、西大路を左に曲がって、
   北大路に出るんだよ。次の金閣寺道で乗り換えて下さい。」

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金閣寺道で下車。「よーじ屋」に立ち寄り。

 「よーじやに用事や!」

下らないことを言って、お店の中に入ります。

みなさん、あぶらとりかみをお買い求め。

わら天神の方へ、歩き始めました。

ファミレスにたどり着くまでに、うどん・丼の店に入りました。

 「大力餅」というお店。

ここから北野天満宮へは、歩いてでも行ける距離だそうです。

一件落着~。

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 「みなさーん。ここから歩いて、
  北野天満宮まで行きますよ。」


と、言った尻から、「北野天満宮」経由、

◯○行きのバスがやって来ました。

 

  「やっぱり、乗るぞ~。走れー、突撃ーっダッシュ(走り出す様)」


  ああ、異体同心のすばらしさ!周の武王は、
  わずか500騎で殷の廚王の数万の軍勢を打ち破った。
  われら7名、一致団結して、無茶苦茶を成功させた?
  とにかく、短時間で、


  「北野天満宮」に


  きたの。

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一の鳥居の前で、写真。

二の鳥居・・あ、牛が寝ています。
頭をさすって、その手で、自分の頭をさする。
そうすると、かしこくなる・・・とイイネ。

牛は神の使いです。
この神社には、牛がたくさん寝ております。


   「みなさん、菅原道真を知っていますか?」


生徒さんたちに聞いてみた。
やっぱり、よく知らない人もいます。


   「聖徳太子の時代の人?」


と誰か。


   「聖徳太子は、遣隋使の時代の人。
    菅原道真遣唐使を廃止した右大臣です。」


   「右大臣なんだ。」


   「そう、今は、総理大臣とか、外務大臣などと呼称しますが、
    昔は、右大臣、左大臣なんて、呼びました。
    で、どちらがエライ?」


   「さあ・・」


   「わずかに、左大臣が上。ときの左大臣藤原時平によって
    左遷され、九州、太宰府のゴンノソツにされました。」


   「それから、都が天変地異に見舞われたのね。」


   「そう、その通り。鎮魂のため、ときの天皇が社を建てて、
    祀ったのが始まりです。」

  
と、説明しましたが、一説には、
(北野天神縁起には)、
天慶5年(943年)道真が巫女の前に現れて、

   「北野の地に社殿を構えよ。」

とお告げがあったとか。

もちろん、
道真は903年に没していたので、現れたのは、お化け。

そのお化けにおののいてか、
天徳3年(959年)、
藤原師輔(ふじわらもろすけ)が自らの邸宅を壊し、
北野の地に移築し、社殿を建てたという。

現在の社殿は、豊臣秀頼の再建で国宝。
八棟造り(やつむねづくり)という不思議な構造です。

 

慶長8年(1603年)、
出雲阿国(いづものおくに)が社頭で、
はじめて歌舞伎を舞ったことから、
ここは、歌舞伎の発祥の地とされています。

え?そしたら、四条大橋南座前の地は?

はい、向こうでも、発祥の地です。
何だか、八つ橋の発祥の地が、
あっちだ、こっちだ、というようなものですな。


1587年、秀吉は、境内の松原で、大茶の湯の会を催しました。九州を平定した秀吉は、ふとっぱらになっていたのでしょう。貴賤を問わず広く呼びかけたので、数千人が集まる史上希なる大茶湯会となったとのこと。

そのとき、使われた井戸の水があります。飲む?


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三十三間堂

ここから三十三間堂に行く、直接のバスはありません。
よって、京都駅行きバスで、駅に戻り、
そこから、三十三間堂行きバスに乗り換えます。

きょうの案内は、午後3時まで。

  「途中でもその時点で、ガイドを終了して下さい。」

点呼時の説明に従って、
ここで、生徒のみなさんとお別れです。

最後に三十三間堂蓮華王院前でお写真でーす。


  「きょうは、みなさん、
   ありがとうございました。では、
   お宿へは、16時30分までにお戻りください。」


途中でガイドを投げ出すのは、気が引けるが、
生徒の自主性を育てるという学校側の意志を村長して・・・
尊重して、時間通り、お別れしました。

そうですね。アドバイスとしては、
残り時間を考慮すれば、遠くへは行けません。
近くの

  「養源院」

はいかがでしょうか。

それが、ゴタの最後のアドバイスでした。

午後3時、夜霧の中に消えた男・・・
のようにカッコよくは、消えなかったが、とりあえず、
去っていった。


おしまい。


※※※※※※※※※※ 山田 錦(ゴタ) ※※※※※※※※※